近況

 これもぼちぼちやっているかな。今年はビッグバンドに参加することが目標だけど、まぁ、ひとつの曲にいったい何ヶ月かかってんの!!という勢い。いいかげん、あの曲は終わらせたいなぁ。とりあえず、頻繁に練習しよう。きっと、そういう積み重ねが大切なはず。でも、もっと気楽にやりたいねぇ・・・。

道半ば

 久々の日記。かなり放置状態だったけど、ちゃんと生きてますのでご心配なく。私が日記の更新を滞ると、生息確認をされることがあったので。最近の仕事をちらっと。相変わらずひぃひぃ悲鳴をあげながらも頑張っているところ。正直、あと3ヶ月で下の学年が入ってくるなんてムリ!!って思う。
 先日、大学時代のバイト先の後輩とご飯を食べていて、「教育の仕事をしていたときは、仕事が楽しいって素直に思えた」ということを話したら、「教育関係に戻ってきてくださいよ」と、まぁ社交辞令かもしれないが言われて、ちょっと揺らぎそうになった。でもやはり、「学校と病院をつなぐ仕事」がしたい。病気を持ちながらも、差別なく、できる限りの教育を受けられる学校づくりと、病院づくりと、社会づくりに貢献したい。そう思う。そのために今するべきことは何か。この病院で何を学ぶか。「次」にどう活かすか。
 今の私の状況は、「中途半端」という言葉がちょうど合う。看護師として一人前には程遠い。かといて、教育の理論のような知識もない。だから今は、ここに留まっても、何かひとつモノにして土台作りをする時なんだと思って、がんばるしかない(といいつつ、愚痴ばっかりだけど)。

 今日は夜勤明け。一般には正月休みが明ける日だから、検査だ何だと帰るのが遅そうだなーと思っていたけど、13時からフルートのレッスンを入れていたから、とにかく急いで仕事をこなした。思ったほど検査出しもなくて、11時ごろ帰宅(それでももうすぐお昼だけど)。
 少しゆっくりして、12時ぐらいのバスで仙台駅へ。フルートが終わったら急いでLoFTへ。何を買うためかというと日記帳。私のじゃなくて、祖父のもの・・・。

 実は、明日1月5日は祖父の手術の日だ。この日記を親戚も見ているようなので、親戚の迷惑にならない程度に、今の自分の考えを書きたい。
 今回は股関節の置換術。今から15年位前に一度変形性股関節で手術をしていたが、置換したところがもう、ダメになってしまっていて、そのために脱臼してしまったためだ。ずいぶん特殊なものを置換するらしく、その人口の股関節?が届くまで待機手術となっていたのだ。
 その間、祖父は随分老化が進んでしまった。といっても、86歳、あと2週間で87歳になることを考えれば歳相応とさえいえるかもしれない。しかし、私の中の祖父は、警察官?時代に培ったのだろう男らしさと、色々な諺や格言を教えてくれるような教養があって、そして格好良さと優しさを兼ね備えていた。芸能人?でいえば、水戸黄門の「風車の弥七」だった。そんな祖父が、だんだん身の回りのことができなくなって、今日は、「私が仙台から帰ってきた」ということを、あまり理解できていなかった。私は、こういった祖父の老化を「受容」できていないのである。
 私は祖父母を見ていて、ひとつ憧れていることがある。高校生のとき、従姉妹の結婚式で親族紹介をしたときだ。先述したように、祖父は警察官だった。時代が時代なだけに、祖母は正に祖父の一歩後ろを歩く妻、だったのだろうと思う。祖父が紹介された後、祖父が祖母を紹介し、祖母が一礼した。「女たるもの・・・」という世界なのだと思う。このやり取りを見たとき、自分がいつか家庭を持ったとき、こういう妻になりたいと思ったのである。
 こういったことを思い出せば出すほど、私は辛くなるのかもしれない。普段仕事で、祖父母の世代の患者さんを相手にすることが多いだけに、余計に祖父の老化をリアルに感じているのだ。

 そして今回、なぜ日記帳を購入したか。祖父はかつて、毎日日記をつけていた。「3年日記」というものだ。1ページが3段に区切られていて、そのページに各年の同一月日の日記を書くのである。いつまで日記をつけていたかは分からない。物を書くというこさえ難しいと思う。でも、急性期の病院では、老化・・・というよりははっきり言えば、認知症に対するアプローチはできないのが現状だ。家族が何かするしかないのだ。これからの入院生活、ただベッドに寝ているだけでは、余計今の症状を悪化させてしまう。日記なんかかけなくてもいい。ただ、「今日はこうだったな」とふと思い起こす機械になればいいと思った。日記帳自体、そんな安いものではないけれど、それが私の希望であり、もし、少しでも役に立てば、安いものだと思う。

 明日はもし付き添いが必要であれば、私が付き添うことになっている。仙台に住んでいて、実際に介護をするわけではない私にできることは、これくらいしかないというのも現実だから。

今年の締め

 しばらく放置してましたよ、この日記。どうしましょう、この日記をソーシャルネットワーキングサイトの日記と関連付けるか悩むところ。

 この調子でいくと、今年最後の日記になりそうな予感がする。ので、今年の反省などをつらつらと。

 仕事について。大学を卒業して働き出して、長く夢見た?職業であるにも関わらず、かなり早い時期から「やめたい、やめたい」と言っていたように思う。周りのみんなにも散々愚痴を言った。だから、支えてくださった皆さんに、本当に感謝。とりあえず、今は仕事をもうちょっとがんばるつもり。今仕事をやめても、私自身に残るものは少ないと思うから。次の職場では、ここでやってきたことが役に立つと思えるくらいまで、成長しないと。来年の年末の日記には、仕事が楽しいとか書けるようになっていたらいいな(いずれ辞める気満々だけど)。
 
 次に車について。2月に姉にCELICAをもらって以来、ずいぶん乗ったように思う。実家に帰るときはほとんど車(しかも下道)だ。夏には思い切ってナビをつけたりした。とりあえず、先日の雪で車が汚くなっているので、年が明ける前に車をきれいにしておきたいところ。来年は水垢とりをガソリンスタンドでやってもらおう。

 音楽について、というかフルートについて。働き出してから、Y○M○H○のレッスンには通えなくなってしまったので、別な教室に通いだした。個人レッスンになった分、合わせて吹くことがなくなってしまって、正直マンネリ化してしまった。曲を仕上げるのに何ヶ月かかってんの!っていう勢い。来年は絶対ジャズバンド(できたらビッグバンド)を組みたい!!でも、ジャズで管楽器というと、サックスやペット、トロンボーンなどが多くて、なかなかフルートの需要がないところが辛い。。。

 あと、来年の目標に加えたいこと。整理整頓!!家での活動が少ない分、家の中が汚れっぱなし。来年は部屋を素敵に模様替えしていきたい。それから、このPC。もう4年になる。時々電源が落ちるのが非常に怖い。しかし学生のときみたいにレポートだ何だと使わなくなった分、趣味でしか使っていないので、買い換えるほどでもないとしばらく我慢してきた。来年はお金を貯めて買い替えかなぁ。。。

 おそらく、今年の日記はこれでおしまい。今日は夜勤入り。明日は夜勤明け。1月1日は休みで2日が日勤なので、1泊2日で帰省の予定。

 

Happy Birthday Dear My Dad

 タイトルの通り、今日は父の誕生日。でも今日は夜勤入りで実家に帰ることができないので、メールを送った。夜の23時30分ごろ。ギリでセーフかな?
 今年で父は還暦。来週は定年退職だ。実を言えば、私は父をそんなにも尊敬に値する人として思っていたわけじゃない。「今でも」かもしれないけど。自分勝手だし、世の中わからないし。よく、娘は父親に似た人と結婚するっていうけど、私の場合は「絶対ない」って思ってた。むしろ、こういう人と結婚したら苦労するんだと、反面教師のようにさえ思っていたかも知れない。でも、私は姉妹の中でも特に親に迷惑をかけてきた気がする。小さいころから身体も弱くて、入院や手術を何度もしたし、受験では私が一番ひやひやさせたかもしれない。短大と大学と卒業させてもらったし、自分が親だったら同じことで切るかな?って思うと、正直自信ない。私たち娘たちに対して、限りある中からも、お金や時間を惜しまず費やしてくれたところは、尊敬に値するように思う。
 来週、父の定年退職の日には、家族そろってお食事会の予定。休みもとったし、楽しみだ。
 

秋保大滝

waking2005-11-03

 今日は仕事は休み。珍しく、世間一般が休みの日に仕事が休みだった。天気も良かったし、紅葉シーズンだし、車で繰り出そうと決める。大学時代のバイト先の友人を誘い、いざ、秋保大滝へ。
 お昼過ぎに仙台を出て、1時間ほどで到着。あまり人もいないかなとおもったけど、やっぱり秋保って観光地なんだ・・・。駐車場も混んでいた。とりあえず秋保大滝を探しに周囲を散策。神社があったので、そこでおみくじを引くとなんと「大吉」。しかし内容を読むと、「成功の機会はあるが少なし。大切にせよ」とか、「待ち人来るが遅し」みたいな、なにか一癖ある書き方。「これって本当に大吉なの?」って、友達に聞いてしまった。滝や紅葉は本当にきれいだった。それからソフトクリームを食べた。
 友達がまっすぐ実家に帰るので秋保から一番近く、かつ帰省の路線まで送っていこうと車を走らせた。。。が、危うく遅れるところだった。とりあえず間に合ってよかったけど。お土産のケーキも買えたし。
 久々に充実した休日を過ごした気がする。ドライブ日和だったなぁ。明日からの仕事も頑張ろうっと。

初アルファ

waking2005-10-26

 今日はお昼過ぎから美容室へ。もう、髪がボッサボサだったから。特にこうしたい、というのもなかったので、「任せる!」と一言。一応、カラーのリクエストはなんとなくしたけどね。まぁこんなのも、スタイリストさんが姉彼だからこそ頼める注文。
 美容室に行った帰りに病院へ。父が今日、膝の手術だったので。部屋に行ったけど、かなり弱っていたのですぐに帰ろうとした。すると、その病院で薬剤師をしている同級生が、父に薬を届けに来た。友達もびっくりしてた。「お父さんだったの!?」って。薬の袋が漢字で書いてあればすぐわかったんだろうけど(謎)。
 そのまま祖母の家にいこうと電話をかけたが、電話に出ない。いないのかなーと思いつつも、車で行ってみることにした。その途中、祖母が歩いているのを見つけ、車に乗せ祖母宅で一休み。
 そしてそのあと、姉&姉彼の家へ。今日は母も帰りが遅いという話を美容室でしていたら、「じゃぁご飯食べて行ったら?」と姉彼が言ってくれたので、遠慮なくお邪魔することに。姉とザモールに買出しに行って、姉彼を待つことに。実は、楽しみがもうひとつあった。美容室での姉彼との会話。

姉彼「家に帰ったらツタヤに返しに行くけど、セリカで行く?」
私 「別に良いよ。。。あ!!アルファに乗りたい。」

姉彼がアルファロメオを買ったのだ。私の人生で初のアルファロメオ乗車。かっこよかったー。どんな車か言いたいところだけど、郡山にあんな仕様の車、相当走ってなくてばれそうだから、言えないけど、そーっとインテリア(特にメーターのパネル)をシャメで撮っちゃおうかと思ったし。

 まぁ、何でこんなに昔の日記を書いているかというと、アルファに乗れたのがそれくらい嬉しかった、ということ