今日は夜勤明け。一般には正月休みが明ける日だから、検査だ何だと帰るのが遅そうだなーと思っていたけど、13時からフルートのレッスンを入れていたから、とにかく急いで仕事をこなした。思ったほど検査出しもなくて、11時ごろ帰宅(それでももうすぐお昼だけど)。
 少しゆっくりして、12時ぐらいのバスで仙台駅へ。フルートが終わったら急いでLoFTへ。何を買うためかというと日記帳。私のじゃなくて、祖父のもの・・・。

 実は、明日1月5日は祖父の手術の日だ。この日記を親戚も見ているようなので、親戚の迷惑にならない程度に、今の自分の考えを書きたい。
 今回は股関節の置換術。今から15年位前に一度変形性股関節で手術をしていたが、置換したところがもう、ダメになってしまっていて、そのために脱臼してしまったためだ。ずいぶん特殊なものを置換するらしく、その人口の股関節?が届くまで待機手術となっていたのだ。
 その間、祖父は随分老化が進んでしまった。といっても、86歳、あと2週間で87歳になることを考えれば歳相応とさえいえるかもしれない。しかし、私の中の祖父は、警察官?時代に培ったのだろう男らしさと、色々な諺や格言を教えてくれるような教養があって、そして格好良さと優しさを兼ね備えていた。芸能人?でいえば、水戸黄門の「風車の弥七」だった。そんな祖父が、だんだん身の回りのことができなくなって、今日は、「私が仙台から帰ってきた」ということを、あまり理解できていなかった。私は、こういった祖父の老化を「受容」できていないのである。
 私は祖父母を見ていて、ひとつ憧れていることがある。高校生のとき、従姉妹の結婚式で親族紹介をしたときだ。先述したように、祖父は警察官だった。時代が時代なだけに、祖母は正に祖父の一歩後ろを歩く妻、だったのだろうと思う。祖父が紹介された後、祖父が祖母を紹介し、祖母が一礼した。「女たるもの・・・」という世界なのだと思う。このやり取りを見たとき、自分がいつか家庭を持ったとき、こういう妻になりたいと思ったのである。
 こういったことを思い出せば出すほど、私は辛くなるのかもしれない。普段仕事で、祖父母の世代の患者さんを相手にすることが多いだけに、余計に祖父の老化をリアルに感じているのだ。

 そして今回、なぜ日記帳を購入したか。祖父はかつて、毎日日記をつけていた。「3年日記」というものだ。1ページが3段に区切られていて、そのページに各年の同一月日の日記を書くのである。いつまで日記をつけていたかは分からない。物を書くというこさえ難しいと思う。でも、急性期の病院では、老化・・・というよりははっきり言えば、認知症に対するアプローチはできないのが現状だ。家族が何かするしかないのだ。これからの入院生活、ただベッドに寝ているだけでは、余計今の症状を悪化させてしまう。日記なんかかけなくてもいい。ただ、「今日はこうだったな」とふと思い起こす機械になればいいと思った。日記帳自体、そんな安いものではないけれど、それが私の希望であり、もし、少しでも役に立てば、安いものだと思う。

 明日はもし付き添いが必要であれば、私が付き添うことになっている。仙台に住んでいて、実際に介護をするわけではない私にできることは、これくらいしかないというのも現実だから。